巻頭のことば~はじめに

巻頭のことば

第八代中町会々長 岡野 誠一

 私は、昭和13年1月に鶴見区鶴見町1422番地(現在の鶴見中央4丁目)、京急鶴見駅前で宮田家具店の長男として生まれました。
 終戦を迎えた頃は、駅前から国道(16号線)の間に料亭が並び、華やかな街で芸者さんが100人以上いたと聞いています。
 昭和42年から南工区都市計画の区画整理が始まり、昭和59年9月、現在の街並みになりました。時代の流れで料亭が無くなり、街が変わり、ビル化が進み、当中町会館も商店街の入り口にあるため共同ビルの3階建てになりました。その当時の会長は、第6代目田中正次さん(昭和36〜43年)でありました。体調をくずされ、昭和44年に第7代目会長照沼吉行さんにバトンを渡されました。私の父も会計として奉仕させていただきました。
 照沼さんは町会長とし、又、鶴見中央地区のリーダーとして20年間の長きに渡り務められ退任されました。私が第8代目の会長として平成2年5月に任命されました。当時は商店街の理事長もしておりました。この数年の間に少子高齢化が進み、お年寄りの方々が会館の3階に上がるのは大変との声が聞かれるようになり、できれば別の所へ建てるのが私の念願でございます。
 現在、1,000世帯以上になり、色々な問題を抱えておりますが誠心誠意頑張って行きたいと思っております。小冊配布に当たって、伝統ある中町を築き上げて頂いた歴代会長、役員、町民の皆様に心より感謝すると共に今後、一層の努力をいたす覚悟でございます。皆様のお力添えご協力をお願いいたします。

平成18年9月 吉日

はじめに

 昭和15年に竣工した汐鶴橋からJR鶴見駅方面に向かって歩を進めると、高層建築の林立に目を見張ります。その大部分がマンションで、住民も相当の勢いで増えました。しかし、そこに住む人と人との付き合いは、よく報じられているようにあまり密なものではないでしょう。「隣は何をする人ぞ」の喩えが目に見えるようです。近代の生活環境が戦前のそれと大きな変化を遂げました。横に連なる家並みから縦に延びた箱の家となっています。最近、街の散歩を主題とするテレビ番組が盛んです。昔の面影を辿って懐かしさを感じ、今の変わりように驚いています。考えるまでもなく戦後60年も過ぎました。変わらないのがおかしいのです。しかし、そこに住んでいた昔の人を偲び、その原点を探って行くのも大変意義のある事と思います。祭りが楽しく、神酒所に行くと町の長老の方々が若い衆を集め、一杯呑みながら昔話をしていました。大抵年寄りの与太話でしたが、今はそれが懐かしく、街を愛する心のよすがになっています。今、土地の若人と街の長老の接点がありません。一般家庭でもコミュニケーションが取りにくくなっています。この小冊が夕食の話題になってくれたらと思います。平成17年9月の敬老の集いに初めて参加させて頂き、先輩の方々や現町会役員の方々と席を同じくして昔話に興じていました。ふと自分がこの席にいて、年長者の仲間になっていることに気付きました。75年の人生をこの中町に過ごした事、自分を育ててくれたこの土地に少しでも知りうる事、持っている郷土史の本の中から抜粋できる事を纏めて小文を書いてみようと思いました。鉛筆を持って文を作ることは、小学生のつづり方より以来久しくなかったことです。勉強不足でボキャブラリーが悲しい程足りません。それに資料がなかなか思うにまかせません。ここに書かれている中で間違っている所も多々あるかも知れません。書き損じている所もきっとあります。もし、後学の方々がこれに訂正を加え、又、書き換える事がありましたら遠慮なく正しいものにして下さい。昭和で終わりにしましたが、平成の世は皆さんで書き進めて下さい。

平成18年9月 吉日

細谷 薫

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました